『”無意識”に多くを求める男、D。』 |
それが完成した際に、ドン・マツオは考え込んでしまった。そもそも最初はアルバムを作るつもりではなく、ツアーの先々で来てくれたお客さんだけにお土産みたいにして売るつもりでいたのである。なので、完成して売りに出すまでの時間を1ヶ月しか考えていなかったし、今の音楽業界でそのような緊急リリースなど誰も許してくれ無い。(「ドンさん、ウチら今6月リリースの会議やってるんですよ〜」)しかし、完成してしまったのだし、良いし、出来ればすぐにでも聴いてもらいたい、というのがミュージシャンの正直な心境である。もちろん、売ることは出来る。やれば良いだけの話である。しかし、作品を作った後にそれを掘り下げ、批評し、考察するという行動は、その時点でやっておかないと、これだけ変化目まぐるしい日常の中で、枯れ葉のようにハラハラと忘れていってしまうことになるだろう。(きっと作った本人とて半年も経てば、新しいことに目がいってしまって、過去の作品なんか語りたくもないようになっているハズである。)それでも批評眼のある相手と語り合うことは作家本人にとっても引き出され、得ることが多いものであり、後に気になった人々にも良い資料として残るであろう、ということで、長い付き合いであるライター・麦倉正樹氏にインタビューを依頼した。麦倉氏はズボンズ初期からのファンでもあり、元ロッキングオン・ジャパンの担当編集者でもあった。奇しくも最後のインタビューは、ドン・マツオ40歳記念イヴェントでの席上で、今回はそれ以来5年ぶりの対話となる。2014年2月の中旬に吉祥寺にて行われた。 ドン・マツオの音楽≠ニは? ●まずは、マツオさんの音楽の作り方≠ノついて、改めて聞いていきたいのですが。 「ズボンズというか、ボクが作る曲はどれもそうなんだけど、一旦完成して録音した時点が、スタートになるんだよね。曲というものは、できたときにそのポテンシャルのすべてがわかるわけではなくて、それをライヴで演奏し続けることで様々な発見があって、それを補完していくように感じているというか。まあ、それはブログの日記にも書いたように、ボクがそういうタイプの音楽家であるから、そう考えるんだと思うけど。たとえば、ビーチ・ボーイズとかビートルズは、レコードが完成するまでに、相当いろんなものを注ぎ込んで、完璧な音源≠作ろうとしたわけじゃない?」 ●そうですね。 「でも、ボクには全然そういうことができないんだよね。実際にレコーディングするときですら、こんな感じで(バッグに入っていたメモ用紙を取り出す)簡単なコード進行と雰囲気を書いたメモをメンバーに渡すだけで……」 ●「中南米人のような陽気さで」と書いてあります。 「そうそう(笑)。これは今回、ソロでレコーディングした曲についてのメモなんだけど、それをメンバーに渡して、2、3回演奏したら、それで終わり。で、そのテイクを家に持ち帰って、ああでもないこうでもないとバラバラに分断して、つなぎ変えてみたりする。そうしているうちに曲が形になっていって、あとは曲の命ずるままに、リード・ギターが必要であれば弾き、ドラムを叩き直す必要があれば叩き直す。で、そうやって音源ができてみて初めて、『ああ、この曲は、こういう曲だったのか』っていうのがわかるという」 ●レコーディングの作業そのものが、作曲≠ンたいな感じということですか? 「そうだね。さっき見せたメモみたいに、最初の段階で自分が頭に描いたイメージっていうのがすごくミニマムなものだから、一旦音源が完成したら、その時点でそこから先に行く必要が無いんだよね。そこにもう、すべてを投入したというか。まあ、そこから先は、やる気が起こらないというのもあるんだけど(笑)」 ●(笑)。 「だから、『ペット・サウンズ』とか『サージェント・ペパーズ』みたいな作品を聴くと、ここまで長い時間をかけてひとつの作品に没入して完成させた先人に、とてもあこがれを持つ。それは、ベートーベンやショスタコビッチのようなクラシックの作曲家もそうだし、偉大な文学者や画家の作品に触れたときも、同じことを思うんだけど。でも、残念ながらボクはそのようなタイプではなく、もっと素朴な、ブルースやフォークのミュージシャンに近いのかもしれない」 ●なるほど。ジャズとかにも近いかもしれないですね。 「そうだね。だから、彼らと同じように、最初の音源がどんな感じかっていうことには、あまり執着が無くて……ライヴで演奏し続けるうちに、曲の雰囲気が変わってくることもあるし、歌詞を書き変えてみたり、ヴァースや新しいエンディングを加えてみたりすることもあるっていう」 ●その生成変化≠ンたいなものに興味があると。 「うん。たとえば、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスがそうであるように、同じ曲の様々なテイクが存在して――そこにはもちろん、良いものと悪いものがあるんだけど、それが結果的に、その人自身の存在の深さや多彩さを、垣間見せてくれることがあるじゃない? それを聴く側がどのように発見できるかっていうのも、音楽の面白さのひとつだと思うんだよね。で、そのためには、いろいろな資料に目を通したり、当時のインタビューを読んだりとかして……それによって、『この頃は、こういう影響があって、こんな演奏になっているのか』って、聴き手が個人的にコミットすることができたりするわけだし、それによって得ることも多い。っていうか、そういうのが楽しいんだよね。『なぜこの人は、こういう演奏をしたのか?』を知ることは、ボクにとって、とても興味深いことだから」 ●何か今回のインタビューの趣旨とも関連してくる話ですね。その音源を解き明かす、資料的なテキストを残しておきたいという。 「そうだね(笑)。だから、ボクも音楽家として、そのような存在を目指したいというか、それが今の気分にいちばんしっくり来ているということなのかな。もう長いことロックという音楽を鳴らし続けている自分自身っていうのは、どうしてこういう存在なんだろうっていう。そこにボクは、今、強い興味を持っているんだよね」 ●自分自身への興味ですか。 「そう。やっぱりボクは、音楽を作り、演奏するという行為に、人生のすべてを投入するタイプなんだと思う。それがネガティヴなものであれポジティヴなものであれ、演奏する時点での自分に正直に……とにかく、そのときの最善を尽くそうっていうのは、いつも考えていることであって。だから、人気曲のある曲を音源そのままにやっていれば良いという態度ではなくて、自分から率先して、その曲を演奏することにチャレンジして、でき得ることならば、それをより良いものにしたい。それに最善を尽くそうってことなんだよね」 ムーストップ(B)脱退の真相 ●そうやって、マツオさんが全存在を投入することができる場所がズボンズというバンドであって……ドラマーは何人も変わりましたが、マッタさんとムーストップさんは、最初からずっと一緒だったわけですよね? 「うん、そうだね」 ●ということは、やはり今回のムーストップさん脱退というのは、マツオさん的にも、かなりこたえたのではないですか? 「うーん……正直、こたえたよね。何しろ、今話してきたようなことっていうのは、誰と話しても通じるようなものではないじゃない? ボクらは、多くのことを一緒に経験してきて……誰かに支えられることもなく、それでも理想に向かって、一緒に努力してきたわけだよね。それを何十年も共有してきたわけだから、その欠落を埋めるのは、すごく難しいよね。とにもかくにも、自分の考えを100%理解してくれる相手と、長いこと一緒に演奏して来たわけだから。それをまたイチからやり直すっていうのは、かなり困難なんじゃないかな?」 ●差し支え無ければ、ムーストップさんが脱退に至った理由を教えてください。 「うーん、いちばんの理由は、『自信が無い』ということだったと思う。本人の中では、自分は曲を作ることもできないし、突出したベースを弾くこともできないし……それどころか、もうティーンエイジャーの頃みたいに、音楽を聴いて感動することもできなくなっていると。そんな自分が、このまま音楽活動を……それこそ、自分のすべてを投入する形で続けて行くのはつらいのだと。自分はミュージシャン≠ワたは音楽家≠ニいうような、すごい存在ではないのだっていう。そういうことだったんじゃないかな」 ●かなりシリアスというか、非常に難しい話ですね。 「うん。でも、その気持ちは、よくわかるんだよね。というのは、ボクもほとんど同じ気持ちを持っているから。自分自身を偉大な存在だと芯から思うのって、やっぱりすごく難しいわけでさ。いつだって、不安や疑問は残るんだよね。でも、少なくともボクには、自分が作ってきた曲があるし、滅多なことではやらないけど、自分の曲を聴き直してみて、『なかなかこれは良いじゃないか。ずいぶん頑張ったではないか』と思える。崖を上っていくため足場みたいなものが、はっきり形として確認できるんだよね」 ●なるほど。 「でも、ムーちゃんは、自分で曲を作ったわけではなく、ボクの曖昧な指示のもと、確信を持たずに演奏して来ただけだ、ということになるんでしょう。だから、自分は何も達成していないというふうに、彼の中では思えてしまうと。ただ、それはボクの認識とは違っていて……ホントは、ムーちゃんがそのときその場にいたことが、演奏面でも精神面でも、その曲が生まれ出ることに大きな力を添えているんだよね。ズボンズの曲が生まれるためには、やはり彼の力が必要だったわけで」 ●先ほどの曲作り≠フ話を聞いて、なおさらそう思いました。 「うん。これは難しい話でさ、一般的には、曲を作るとなると、どうしても、そのリフを考えた人間や、その方向性を指示する人間が、創造性のすべてのように捉えられてしまうんだけど……実際は、そうじゃないんだよね。特にロックバンドの場合は。レコーディングの現場であれ、ライヴのステージ上であれ、そこにいる全員が、音楽を作り上げるために力を発揮しているわけで……少なくとも、ボクはそう考えているんだよね」 ●わかります。 「にもかかわらず、個人、個人と言わなければならない時代なのか何なのかわからないけど、誰が作っただとか、そういう話になりがちじゃない? だけど、音楽の現場で実際に起こっていることは、個人という小さな能力を超えたものなんだよね。個人っていうのは、本当に小さな存在で――音楽を生み出すという作業は、個人というちっぽけなスケールではなく、それこそビッグバンみたいなものだから。自分ひとりでやろうと思っても、できることじゃないんだよ。っていうことは、もちろん彼も十分わかっていたと思うんだけど、やはり歳も重ねてきているし、このままやり続けることに対する不安に打ち負かされてしまうということも、実はすごく良く理解できるんだよね。まあ、ズボンズが仕事と呼べるほど稼げていたら、また話は違っていたのかもしれないけど……でも、そうなっていたら、また違う種類の苦労を背負い込んでいたかもしれないし。そこらへんは、本当に難しいところだよね」 新バンドランドルフ≠ノついて ●ただ、そこで……というか、ムーストップさんが参加した、ズボンズとしての最後のライヴの直前に、マツオさんは新バンド、ランドルフを立ち上げて披露しましたよね。あれはどういう心境だったのでしょう? 「うーん……ムーちゃんが辞めると宣言した直後は、やっぱりそれに対する、反射的な怒りみたいな気分も正直あって。『ベースプレイヤーがひとり辞めたからといって、オレの音楽に影響などあるものか!』っていう(笑)。そう考えて、『これはもう、新しいバンドで新しい音楽を始めれば良いのだ!』と思ったのかな? でも、実際時間が経ってみると、やはりムーちゃん無しの演奏では、結局ボク自身が持つエネルギーを最大限に解放できないというか……まあ、あくまでも今のところっていう話なんだけど」 ●たとえばの話ですけど、もし、マツオさんがすべてのエネルギーを解放できるようになったら、ランドルフがズボンズになるという可能性もあるのでしょうか? 「うーん、そうとも言えるけど、そうでもないとも言えるかな。やはり、ズボンズという気持ちで音楽に取り組むには、これまでやってきたことの延長線上で作ることになるし、作るという段階でやはり特定のメンバーが必要になるんだよね。それがマッタであり、ムーストップであったという。彼らが感じるであろう良い悪いの判断も、音楽を作る上での伏線的な基準になっていたわけで。だから、ボクが何かを思いついたとしても、それをズボンズでやるのであれば、まずは彼らに気に入ってもらいたいと思うわけだよね。彼らに『またカッコ良いの作ったね』と思わせるような音楽でなければならないっていう」 ●まあ、そうですけど。 「もちろん、誰と一緒にやったとしても、相手が気に入る――しかも、最高に気に入るような音楽を作りたいと思っているわけなんだけど……まあ、そのあたりは、今の時点では、ちょっとわからないかな? 時間を掛ければ、ムーちゃんでなくても、そう思えるような相手ができるのかもしれないし。それこそ、Mo' Funky≠年に100回とかライヴで演奏することを、3年くらい一緒にやったら、そうなれるかもしれない(笑)」 ●300回ですか(笑)。 「まあ、だから、ボクはコルトレーンやマイルスほど、個人としては成り立っていないってことなんじゃないかな。彼らは、自分個人の名前のもとで音楽を追求していくけれど、僕は始まりからバンド≠ニいう共同体で音楽を作ることしか経験していないし、ひょっとしたら自分で思っているよりも、メンバーの存在っていうのに頼っていたのかもしれない。だから、身体≠ニいう比喩を使うなら、ズボンズという身体に於いては、ボクでも誰でも、その一部に過ぎないんだよ。コルトレーンやマイルスは、個人を全体と言い換えることができるけど、ボクはずっと、あくまでも一部という存在であって、そこで音楽を作ってきたんだよね」 ●「ドン・マツオ=ズボンズ」ではないと。 「うん、そうではないよね。でも、そこで思うのは、自分はそういうやり方でやってきたからこそ、これだけ良い音楽を作れてきたのかなっていうことで……その自覚はあるかな。ただ腕の良いミュージシャンとやって作ってきたのではなく、技術的には限界があり、出せるカードはいつも同じメンバーなんだけど、それを踏まえた上で、できる限りの努力をするという。とにかく、音楽として前よりもカッコ良いものを、すごい良いものを、という強い理想を持ってやっていたわけで。何よりも、共同体として酸いも甘いも一緒に味わってきた仲間と一緒にやるからこその成果だったのかなって。上手なプレイヤーが、ボクの頭の中にある音楽を的確にやってくれたとしても、それはきっと大したものにはならなかったんじゃないかな」 ●でも、そう考えると、なおさらムーストップさんの脱退は厳しいですよね……。 「うーん、難しいよね。そう、キャリアの長いバンドではよくあることだと思うけど、『どうしてこのメンバーと一緒にやり続けているんだろう?』って思ったりすることがあるじゃない? でも、それっていうのは、やはりそういうクリエイティヴにおける微妙な人間同士の関係性が働いているからなんだよね。それは当事者じゃないとわからないことだろうし、当事者ですら自覚出来ていない場合もある。クリエイティヴにおける、人間の興味深い心理的、精神的側面だよね(笑)」 船長≠ニしての役割 ●「ドン・マツオ=ズボンズ」と思われる理由のひとつとして、ステージ上でマツオさんが取り仕切っているイメージが強いというのがある思うのですが、あれは別に具体的な注文や指示を出しているわけではないんですよね? 「うん、そういうのではないよね。その日そのとき、どんな音楽になるのかなんて、ボクにもわからないから(笑)。だから、ボクの中にあるイメージを具現化するみたいなのとは、ちょっと違うんだよね。そうではなくて、今鳴っている音楽が、どのような方向に向かっているかを踏まえながら、それに沿ったプレイをメンバーにして欲しいっていうだけで……」 ●たとえて言うならば、船長≠ンたいな感じですかね。何が起こるかわからない海の上で、どんなに海が荒れていようとも目的地にたどり着くために指示を出すというか。 「うん。まさに、そういう感じかもしれないね。微細な波や風の動きを読みながら、その都度その都度、適切な航路を決定して行くというか……でも、船長ひとりでは、船は動かないわけじゃない?」 ●そうですね。波や風を自分で作り出すわけにもいかないし。 「そうそう。でも、確かにそんな感じかもね。ちょうどこの間、メルヴィルの『白鯨』を読んだばかりだから、すごくしっくり来るかもしれない(笑)。ボクは、そういう役目に長けているんだと思う。だから、ボクが新しい音楽を作るために必要とするのは、新しいネタを集めたり刺激を求めたりすること以上に、『自分の状態が、どのようでなければならないか』っていうことなんだよね。正確に波目を読み、的確な判断が出来るような状態に、自分を持って行くというか」 ●一般的なロックバンドのフロントマンの在り方とは、ちょっと違いますよね。 「そうかもね。ただ、どうしてそういう演奏形態になっていったのかっていうのを考えると、それはやはり海外での活動の経験からなんじゃないかな? 海外で長いツアーをやると、どうしてもトラブルを避けられないし、疲れから故障してくる部分も出てくるわけじゃない? でも、この場所でこの人たちを前にして演奏する次の機会≠ネんて、あるかどうかなんてわからない。だから、どんなシチュエーションであれ、自分たちがどんな状態であれ、ともかく最善を尽くして、この人たちを驚かせてやろう、高いところまで連れて行ってやろうっていう。海外でライヴをすると、日本でやる以上に、そういう共通目的を強く持てるんだよね」 ●なるほど。 「考えてみれば、昔はそういう自覚なんて無かったかもしれないよね。とにかく、『自分のやっていることは最高なんだから、オレの音楽を聴け!』みたいな感じだったというか、ある意味ロックバンドとして真っ当な態度を取っていたような気がする(笑)。ボクはそれをヤンキー・アティテュード≠ニ呼んでいるんだけど――小さな井戸の底で叫んでいる、強がりみたいなもの。でも、大海に出てしまえば、そんな小さな人間の言っていることなんか誰も聞いてはくれないし、自分自身が、いちばんそれをわかるようになるんだよね。そこで何かを成し遂げたいのであれば、自分で自分のできる最善の方法を見つけるしかない。結局、良いライヴをやるとか、良い音楽を作るっていうことでしか、自分は魂の満足感を得られないのだから。ということがスタートとなって、いろいろな状況を含めた最高のゴールに向かう努力をしようってことなんだよね」 ソロ・アルバム『マジック・マウンテン』について ●そろそろ新しい音源の話をしたいのですが、ランドルフのアルバムではなく、マツオさんのソロ・アルバムになりました。これは、どういう理由だったのでしょう? 「うーん、どうしてだろう(笑)。ランドルフはランドルフで、もうアルバム一枚作るだけの曲はそろっているから、それをまとめようという気持ちも無いでは無かったんだけど……なぜかそれを積極的にさせない意識があったんだろうね。自分でも自覚していないんだけど、それにストップを掛けている意識みたいなものが。もしかしたら、バンドというものは、長い時間を掛けてお互いをわかり合ってからでなければ音源を出してはいけないという、強いオブセッションがあるのかもしれない。まあ、この先どうなるかは、ちょっとわからないけど……」 ●新しいバンドを立ち上げるところまではやったけど、ズボンズと同じようなペースで音源を出すのは難しいということですか? 「うーん、そうなのかな? ただ、さっきも言ったように、何かボクの自意識だけで強く推し進めていくと、どんどんやっていることが小さくなって行くような気がするんだよね。小さな自分が、そのまま音楽に出てしまうというか。やっぱり、音楽っていうのは、宇宙のように大きな存在で、小さな自分でコントロールできるようなものじゃないんだよね。我を出せば出すほど、かえって音楽がつまらないものになってしまうというか……何かボクの場合は、そういう感じなんだよね」 ●何となく今の話と矛盾するような気がしないでもないですが、そういう中で、なぜ今回ソロ・アルバムを作ろうと思ったのでしょうか? 「いや、だから最初は、ソロを作る予定もつもりも無かったんだよね。ただ、昨年の秋に小さなソロ・ツアーをやって……そのときは例によって、地元のバンドの子らと、ブルースやらビートルズやらズボンズやらの曲を演奏したんだけど、何しろツアーは楽しいものだから、そのときのノリで『じゃあ3ヶ月後にまたやろう!』っていう話をして。で、そのツアーを計画しているうちに、どんどん日程が長くなってきて、それと同時にいくつかの会場から――これはブログの日記にも書いたけど、『大きな音は出せないけど、それで良ければ是非』みたいな声が上がってきて。で、そういうのは今まで考えたことも無かったんだけど、であれば『小さな音でもやれるような曲を作ってみたらどうだろうか?』と考え始めたのが、昨年末のあたりだったかな?」 ●小さな音≠ナすか? 「そう。で、どういうのが小さい音でも良くできている音楽なんだろうって、あれこれ考えながらニール・ヤングとかを聴いてみたんだけど……やっぱり、ひとりで弾き語るようなものは、ピンと来ないなあと。では、グループで演奏するような可能性はどうだろうって考えたときに、『やはり、リズムだろう』っていうところに落ち着いたんだよね。それで年明けから、ランドルフのドラマーである44O(ヨシオ/壊れかけのテープレコーダーズ)とふたりでスタジオに入って、あれこれやり始めて……それが1月半ばくらいだったかな? そうやって、曲も完成してないうちからメンバーを集めて、レコーディングして、編集して、ギター・ソロを弾いて、歌詞を書いて、ミックスダウンして……というのを、3週間ほどでやった感じですね」 ●そう、小さな音≠りきという話を聞いていたので、どんな感じの音になるかと思ったら……意外と普通にズボンズっぽい曲も多いですよね? 「うん。やっぱり、実際に作り始めて見ると、自分が最初に考えていたコンセプトは、どんどん忘れ去られていくんだよね(笑)。もちろん、スタートの取っ掛かりにはなっているんだけど。ただ、いざアルバム作りが始まってしまうと……というか、正直今回はアルバムを作るつもりではなくて、ツアーに持って行く小さなEPみたいなものを作ろうかっていう気持ちだったんだけど、やり始めたら大きく膨らみが出てしまって。結果、最初の小さい音で≠ニかいうのは、そんなにコンセプトとして残らなくなってしまったんだよね(笑)。やっぱり、さっきも言ったように、できてくる曲が、勝手にそれぞれのスケールを求めることになって行くわけだから」 ●全体の印象としては、思いのほか明るいアルバムというか、すごく抜けの良い一枚になっている気がしたのですが。 「そうかもしれないね。ツアーに備えて、以前のソロ・アルバムやズボンズの音源を聴き返してみたんだけど――そういう自分の縦の時系列の中で、今回完成した音楽を眺めてみると、この数年で自分の音楽家としての表現の仕方が、結構変わったのかなっていうのは、ちょっと感じたかな。やっぱり、自分の変化っていうのは、そうやって振り返ってみないとわからないものだよね」 ●ソロはこれで三枚目になりますが、ズボンズが無い状態で作ったソロという意味では、今回が初になるわけですよね。 「ああ、そうだね。確かに今回は、ズボンズのことは、まったく意識しなかったな。これまでのソロは、やっぱりどこかズボンズとの違いを意識していたところがあったかもしれないけど……」 ●というか、今回のアルバムって、マッタさんは全部参加していて、ムーストップさんも半分くらい参加していて……って、これ、ほとんどズボンズじゃないですか(笑)。 「うーん……そうなんだよね」 ドン・マツオの現在地 ●ズボンズとのわかりやすい違いをひとつ挙げるならば、これまでに無いくらい、マツオさんのギター・ソロが多い作品になっていますよね? 「何か最近、ギターソロを弾くのが、すごく好きなんだよね(笑)。だから、今回のアルバムは、ジェフ・ベック以来、久々に長いギターソロを聴かせるアルバムにしようと思って……というのは冗談だけど(笑)。でも、長いミュージシャン生活の中で、ボクが得た大きなもののひとつは、ギターという楽器で自分のヴォイス≠表現できるようになったことなんだよね。それは技術的に上手いとか速いとかではなくて……ただボクはギターで自分自身の音を鳴らせるようになった、ということなんだけど」 ●マツオさんのギター・ソロって、流暢なフレーズというよりも、その演奏の雰囲気を掴みながら自由に鳴らしている感じがして……すごく独特ですよね? 「まあ、独特かもね。もう何も考えずにフンフン弾いちゃうから(笑)。それは、自分に甘いってことなのかもしれないけど。一生懸命練習してフレーズを習得しようという意志が、あんまり無いんだよね。一生懸命考えたところで、ジェフ・ベックみたいにカッコ良いフレーズを思いつけるわけでもないから。っていうか、そういう意味では、自分の能力を信頼していないのかもしれないよね」 ●でも、その自由さみたいなものが、結果的に音楽の抜けの良さや広がりに繋がっているような気がして……正直、ブログの日記を読んだときは、相当シリアスなものがくるのを覚悟していたのですが。 「ははは。でも、確かにボクは、自分の苦悩を、そのままダイレクトな形で音楽に反映させるタイプのミュージシャンではないかもしれない。やっぱり、ボクにとって音楽は、何をおいても楽しいものであって欲しいというのが基礎としてあって……あと、人間はそもそも複雑な考えを持っている存在であって、苦悩しつつ楽観していたり、凶悪でありながら天使の心を持つみたいなことを、ひとりの人間の中で矛盾なく成立させてしまえるものじゃない? ボクはどちらかというと、その全体≠ニいうものの不可思議さを表現したいタイプだから、音楽を何かひとつの感情領域でまとめることを、やらなくなってきているんだよね。それは、ここ数年の傾向なのかもしれないけど。もちろん、音楽としては、わかりやすいものが受け入れられやすいということはわかっているんだけど、自分を顧みても人間≠ニいうものは、全然わかりやすいものではないし、ある意味そのすべてを持っているってことなんだよね。そこがやっぱり面白いところであって……その面白さが、音楽を生まれさせているんじゃないかな?」 ●なるほど。 「人間は様々な心を持つ存在ではあるけれど、社会の中で生きるということは、それぞれに役割や規定が与えられるということで、誰もがそれを基準に生きて行くということだよね。たくさんのエピソードが毎日起こって、それに心がネガティヴな、あるいはポジティヴな反応をしながら、『これはこうだ』という判断を、一瞬のうちにやらねばならない。そのときに、社会的な自分の規定っていうのが、多くを助けてくれるわけだよね。基準にすべきものが、そこにあるという。でも、ボクみたいにどこにも所属していない人間は、すべてを自分の名のもとに判断しなければならなくて……でも、心の反応は、それほどシンプルではないんだよね。だから、そのときに『どうして自分は、そのようなことを考えてしまったんだろう』ということを、いちいち考えたり分析したりする。でも、やっぱり悪いことをしたり、悪い考えを持つことは嫌だから、そうなってしまう自分というものを、どうにかより良いものにして行きたいとは思っていて……それらすべての複雑なフィーリングを、肯定も否定もなく、できるだけ率直に表現したい。そんなふうにボクは思っているんだよね」 ●ブログの日記のような文章から受ける印象と、この音楽から受ける印象は、同じマツオさん発信のものであっても、だいぶ違いますよね。 「うん。やっぱり、音楽っていうのは、抽象的なイメージを織り込むことができるんだよね。たとえば、自分の中に、いまだ成長せずに抱え込んでいる少年性みたいなものがあるとするじゃない? そういうものは文章では見えなくても、音楽からはポタポタと沁み出してしまうんだよ。子どもの頃に朝起きて、『ああ、これから楽しい一日が、また始まるなあ』みたいなフレッシュな感覚っていうのは、今もまだ持っていて……そういうものは、音楽からは隠せないんだよね」 ●なるほど。 「そうやって、自分でも意図していないから、このアルバムがどうしてこういうアルバムになったかっていうのは、ある程度時間が経ってみないと、やっぱりわからないんだよね。とにかく、そのとき最善と思えることをやってみたというだけであって……ただ、今のところは、『うん、なかなか良いものができたんじゃないか?』って思っているんだけど(笑)」 ●(笑)。「苦悩を吐露する」みたいなアルバムにはなっていなかったので、ちょっと安心しました。 「ふふふ。それはきっと、ボクの受け継いできた音楽というものが、そういう形での個人の重さみたいなものを、表現しないものだったからじゃないかな。ローリング・ストーンズであれ、ボブ・ディランであれ、ブルースであれ、やはり音楽っていうのは、踊れて良い気分になるものでありたいよね。自分の我を全面に出して、すべてを自分が作り出すのではなくて、それはあくまでも自分が受け継いできたものの変奏であり、今の自分のヴァージョンに過ぎないわけだから。そういう意味では、音楽を作った≠チていう感じさえ、していないかもしれない」 ●2014年のドン・マツオは、あちこち傷だらけになりつつも、解放感のある抜けの良いソロ・アルバムを作ったと。そういう感じでしょうか? 「うん。そういう意味でも、やっぱり音楽っていうのは、非常に面白いものだなって、改めて思うよね(笑)」 |