Animal Collectiveを見て世界を考える。
日曜日にAnimal Collectiveの来日公演を見にいった。(ボクの雑誌の連載に便乗して対談もやってきた。コチラはまとめてSNOOZERの来月号に。)とても良いライブだった。
彼等の最新作"Feels"は昨年のボクのベストアルバムで、その音楽はとても儚いプリミティブ・ワールドと言った世界が展開されている。(やはり誰しも与えられたスクエアーな大人になんかなりたくないのだ。)アルバムでは周到にアレンジされた音楽が聴かれたが、そのライブは予想を超えて素晴らしいものだった。ヴォーカルのエイビィーくんがとても良かった。ボクはパーカッション担当のパンダ・ベア君と対談したのだが、彼も良かった。彼等はとても沢山の機材を使っているのだが、機材に負けない情熱やエナジーを発揮する事に成功している。これが分岐点である。エレクトロニクスを使う事は誰にでもできて、そのサウンドも「いかにも」完成された感じにはなるのであるが、その枠を飛び出した(若しくは飛び出さずにはいられない)エネルギーがなければ、そこに感動は生まれない。ボクらは感動したいのだ。だってエイビィーくんはきっと一人でギター弾いて歌ってたとしても同じくらい素晴らしいだろう。そう言う事なのだ。
とは言え実は密かにボクはエレクトロニクスを使いこなす人々を尊敬しているのですが、パンダくんは「もう音楽を始めた時からその辺にあった」みたいな感じで使いこなしている。ムム、やはり新世代の音楽なのだな。明らかにHip Hop/Post Rock以降のミュージシャンである。良いねー!(ちょっとジェラシー)同じような感覚をLimited EXpressやShiftなんかにも見る事ができる。結局これだけ情報のネットワークが整っていれば日本であっても世界と音楽の発展のレベルはそんなに変わらないのかもしれない。(環境については、また別の話になってしまうのだけれど。)
Animal Collectiveが世界で成功を収めつつある/注目を集めつつある今、日本ではどのような動きが生まれるのだろう?新しい世代の音楽は常に世界をひっくり返そうとウズウズしている。そしていずれ世界はひっくり返され、また元に戻ったりする。その動き/エネルギーがまた次の動きに繋がるのだ。
世界は面白くなりつつ、あるな!